鞍馬の文化

鞍馬は、山あいの小さな集落です。けれどこの土地には、奈良時代から都と山をつなぐ場所として積み重ねてきた歴史と時間があります。

船のつかない港

江戸のはじめから、鞍馬は炭の名産地として知られていました。鞍馬炭です。

朝早くから、花背、広河原、百井、大見といった奥地の村々から、牛や馬の背に炭俵を乗せて、人も背に炭を負って、鞍馬の炭問屋にやってきました。荷を下ろすと、今度は塩や味噌、醤油、日用品を積んで、それぞれの村へ帰っていったといいます。鞍馬からは、牛や馬に荷車を引かせて京の都へ運びました。

運送のための牛や馬が、常に十五、六頭は飼われていました。玄関や小屋の出入り口につながれていて、子どもたちはその横を通るのを怖がったそうです。

人と牛馬が行き交うその賑わいを、人々は「船のつかない港」と呼びました。

土地の古老から聞いた話です。

二ノ瀬と奉先堂

鞍馬川沿いの二ノ瀬は、江戸時代に儒者・林羅山を祖とする林家の知行地でした。延宝二年(一六七四年)には林家の家廟・奉先堂が建てられ、二ノ瀬と林家の関わりを伝える資料が、いまも残っています。

詳しくは二ノ瀬という集落のページに書きました。

鞍馬寺と信仰

宝亀元年(七七〇年)、鑑禎上人が夢のお告げと白馬に導かれて鞍馬山に登り、毘沙門天を祀る草庵を結んだのが鞍馬寺のはじまりと伝えられます。延暦十五年(七九六年)には藤原伊勢人が伽藍を整え、千手観音をあわせて祀りました。

平安の中頃には、都の人がこの山に登ってきました。清少納言は『枕草子』に「くらまのつづらをり」と書き、菅原孝標女は『更級日記』に参籠の様子を残しています。紫式部が『源氏物語』若紫巻に描いた「北山のなにがし寺」も、鞍馬寺だとされています。

源義経は、牛若丸と呼ばれた七歳の頃にこの山に入り、十六歳の頃に鞍馬を出て奥州平泉へ下りました。昼は仏道の修行をし、夜は僧正ガ谷で天狗に兵法を授けられた——そう伝えられています。奉納された絵馬には、牛若丸と烏天狗、鼻高天狗の姿が描かれています。

文化十一年(一八一四年)に火災があったとき、尊像や寺宝を火の中から運び出したのは、里の人たちでした。

いまも六月二十日には、鞍馬寺で竹伐会式が行われます。京都市の登録無形民俗文化財です。

鞍馬の火祭

毎年十月二十二日の夜、由岐神社の例祭として鞍馬の火祭が行われます。由岐神社がこの地に遷された折の行列を、いまに伝える祭礼です。

日が暮れると、通りに松明の火が灯ります。担うのは、この町に暮らす人たちです。

家の板壁に下げられた白い御幣

家に飾る御幣

火祭の日、鞍馬の家々には御幣が飾られます。2026年8月